西益屋について







山鹿市の観光案内

山鹿温泉
山鹿温泉は、平安時代中期に編纂された辞書「和名類聚抄」に肥後国山鹿郡の「湯泉郷(ゆのごう)」として記載され、1000年以上前から存在していたことがわかります。江戸時代には、肥後細川藩の初代藩主・細川忠利公により「御茶屋(おちゃや。参勤交代などの際に藩主や幕府の役人が休憩、宿泊した施設)」が構築され藩の記録によると剣豪・宮本武蔵も招待されたと伝えられています。
さくら湯
さくら湯は、寛永17年(1640年)に構築された前述の御茶屋が前身とされています。宝暦13年(1763年)の絵地図によると浴場は3つあり、それぞれ「御前湯」は藩主と重臣用、「御次湯」は家臣用とされ、「外湯」が男女混浴の庶民用とされていたそうです。明治31年(1898年)に招聘された道後温泉の棟梁・坂本又八郎の手により、大改修が行われ、唐破風玄関を備える堂々とした湯殿となりました。昭和48年(1973年)に取り壊されてしまいましたが、平成24年(2012年)に現在の姿に再生、再建されました。
八千代座
八千代座は、明治43年(1910年)に建造された芝居小屋です。昭和40年代の終わり頃には使用されな くなり、朽ち果てた姿に往時が偲ばれるばかりでしたが、市民による保全活動が実を結び、昭和63年(1988年)には国の重要文化財に指定されました。平成13年(2001年)には保存修復工事が完了し、伝統的な芝居小屋様式を伝える山鹿市のシンボルとなりました。現在は歌舞伎公演のほか、演芸、コンサート、シンポジウムなどが開催され、多くの観光客が詰めかけています。
灯籠まつり
山鹿灯籠まつりは、毎年8月15、16日に開催される大宮神社のお祭りです。日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である景行天皇がこの地に到着された際に、菊池川からの濃霧が立ち込めて進路が阻まれ、里の人々が松明を持って迎えたと伝えられる故事が起源とされています。文禄年間から松明に代えて、紙製の灯籠を奉献する習慣となりました。現在は、浴衣姿の女性たちが金銀紙で折られた山鹿灯籠を冠して、優美に踊る祭りとなり、熊本県三大火祭りのひとつとされ、全国津々浦々から30万人もの観光客で賑わいます。
豊前街道
豊前街道は、参勤交代のルートともされていた街道で、16世紀に山鹿が宿場町として発展する過程で整備されました。寛永9年(1632年)には、失脚した加藤氏に代わって熊本城に入場する細川忠利公も豊前街道を通り、この地に一夜の宿をとったと伝えられています。この街道の発展とともに、山鹿温泉の整備も進められました。当店もこの街道沿いに創業し、80有余年のご愛顧をいただいています。